普天間 基地 移設 問題 原因 解決 方法 あるのか? 歴史的背景からの考察 [一部訂正]
Posted on | 5月 7, 2010 | 3 Comments
普天間飛行場
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E5%A4%A9%E9%96%93%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4
Marine Corps Air Station Futenma
http://en.wikipedia.org/wiki/Marine_Corps_Air_Station_Futenma
普天間 基地 問題 を語る上で、まず大切なのは、その歴史を辿ることが大切です。
歴史: Wikipedia より抜粋
戦前、飛行場が建設される前のこの地域にはいくつかの泉が存在し、それらを水源に畑作が営まれる丘陵地であった。また本島南部の那覇や首里と北部の国頭(くにがみ)を結ぶ交通の要衝でもあり、琉球松の並木道が続いていたという。
1945年 – 沖縄戦の最中に、宜野湾一帯がアメリカ軍の支配下に置かれると、アメリカ陸軍工兵隊の発注により中頭郡宜野湾村(現・宜野湾市)の一部土地を接収し、2,400m級の滑走路を持つ飛行場が建設された。
1953年 – 滑走路が2,800メートル(9,000フィート)に延長され、ナイキミサイルが配備された。
1960年 – アメリカ陸軍からアメリカ海兵隊へ移管された。民有地については、琉球政府が住民から土地を一括で借り上げたうえで米海兵隊に又貸しをし、軍用地料(基地・飛行場の土地賃借料)についてはアメリカ側から琉球政府に支払われたものを住民に分配する方法が採られた。
1972年 – 沖縄返還がなされた際、事務が琉球政府から日本政府(防衛施設局)に引き継がれ、飛行場は引き続き存続することとなった。
現在(2010年)でも、普天間飛行場が占める土地のうち、およそ9/10は私有地である。このため、年間61億円を超える賃借料が地主に支払われている。
上記の歴史と照らし合わせる形で、下記に各年代の航空写真を示します。※出典:週刊新潮 2月18日号
■1945年 第二次世界大戦 終戦時
■1970年
■2005年
■2010年
写真でもわかるように、第二次世界大戦 終戦後に出来た普天間飛行場ですが、
当時は普天間飛行場の周りには民家はほとんどなかったことが分かります。
それが今ではびっしりと民家が隣接している状態です。
ということは、もともと民家がある地域に無理やり米軍が基地を作ったわけではなかったのです。
このあたりを分かりやすく説明している、いすけ屋さんのブログから抜粋した文章は下記の通りです。
※いけす屋さんブログ http://isukeya.iza.ne.jp/blog/entry/1498025/
普天間飛行場は、もともと何もない畑に米軍によって作られた。
周辺は本来なら畑のままであるはずが、現在では人家が密集しており、飛行場としては非常に危険な状況にある。
何故人家が集まったかというと、そこに米軍キャンプ経済があったからである。米軍で働く人、米軍兵を相手に商売する人、それはそれで生活の場となったのである。
何も好んで、騒音激しい危険なところに住まなくてもと思うが、そこには生活があったと理解すべきだろう。
いずれにしても、密集地に基地が出来たのではなく、基地に人家が集まってきたのである。
鳩山首相や日本政府に頼らず、この歴史的背景を背に、日本国民ひとりひとりが今この問題に立ち向かう必要があります。
[訂正、その1 2010年5月7日]
いくつかの文献、沖縄住民の方々のさまざまな意見を再調査しました。
その結果、
普天間基地が建設される以前、米軍が沖縄へ進軍した時は、
もちろん普天間は農村地帯であり、ほとんど人は住んでなかったのですが、
確実に住んでいる人たちは居ました。
その時、米軍はその住民の土地を半強制的に接収し、住民を別の場所へ収監した事実があります。
※またそのとき、明確な契約書を米国と住民は交わしていません。
そして終戦後、その住民たちは普天間にある自分たちの土地に戻ってきたのですが、
もうすでに普天間基地ができていたので、やむえずその周りに新たに住居を構えた、という経緯があります。
その後、米軍にまつわるさまざまな仕事を求めて、多くの日本人が普天間基地周辺へ引っ越してきました。
今でも普天間基地周辺の土地価格、住宅賃貸価格は他の沖縄地区と比べて安いようで、
さらにその安さに引きずられる形でたくさんの日本人が引っ越している、という経緯があります。
もちろん、後から普天間へ引っ越してきた日本人は、そのリスクを理解したうえで引っ越してきた、
という意見もありますが、人間は生活のことを考えてしまうと、ついついそのリスクを忘れてしまいます。
それはどこの国でも同じです。
結果、普天間基地移設問題に関して、我々日本人は一致団結して、再度米国と協議し、解決策を生み出す必要があります。
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3 Responses to “普天間 基地 移設 問題 原因 解決 方法 あるのか? 歴史的背景からの考察 [一部訂正]”
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